2007年 04月 08日
===「三池 終わらない炭鉱の物語」===
監督:熊谷 博子
遺跡とは過去の人類が残した遺構もしくは遺物のある場所と広辞苑に載っているが、三池炭鉱の廃坑跡はまるで現代の遺跡である。消火器、電話、灰皿に吸殻までがそのまま残っている。まるで一瞬のうちに炭鉱の人々が神隠しにあったような感じがする。昔は囚人労働が行われていて、多いい時は労働者の7割が囚人だったという。重労働なので人を募集しても集まらず、朝鮮人や中国人も数多く連行されて働かされたという。
1.囚人たちが毎日現場まで、繋がれた鎖の音をジャラジャラさせながら歩いて通ったとい
う囚徒街道。
2.囚人たちは刑期が終了するとそのまま町に住み着いて炭鉱夫として働く人も多く、三
池炭鉱の赤レンガ造りの建物と、東大の赤門を掛けて、「赤門大学を出たんだね。」
と、子供のころ囚人をからかった。
3・自分の女房が作ってくれた弁当をつるして置き、昼に食べようとすると鼠が食べ散らか
しまった。鼠の食った弁当はさすがに食べられずひもじくて、みんなから少しずつ分け
てもらった。
4.辛かったことは話したくないが、貴方(監督)がせっかく来てくれたのだからしょうがない
から話す。でも話してよかった。心の重荷が取れてたようにすっきりした。
5・掘り始めて一番怖いのは、天井に空洞が出来て100メーターぐらいの真四角になった
とき、いっぺんに天井が落ちるときがある。もう人間なんか吹っ飛んでしまう。
とういうような生々しい話が、昔炭鉱で働いてた人々から語られる。
また、「負の遺産」という言葉も聴かれる。使い物にならない炭鉱跡や、建物、重機機械類、そして一酸化炭素中毒による後遺症。でも、炭坑節をチーフにしたダンスサークル、廃坑跡を歩くウォーキングイベントなど負から正への足がかりとしての試みも芽生えてきている。
三池炭鉱の歴史
1469年・・・・・・“燃える石”が発見される。
1873年・・・・・・国営の炭鉱となり、囚人を使った炭鉱の採掘が始まる。
1889年・・・・・・「三井」に払い下げられ民営になる。
1899年・・・・・・与論島(鹿児島県)から三池炭鉱への集団移住始まる。
1939年・・・・・・炭鉱へ朝鮮人の強制連行が始まる。
1941年・・・・・・太平洋戦争始まる
1959~60年・・約1年続いた三池炭鉱の労働争議。
1963年・・・・・・死者458人を出した炭じん爆発事故
1997年・・・・・・三池炭鉱閉山